インスタに続きXアカウント開始。更新情報を配信中!
SWIFTガレージに掲載した車の写真は、FD3Sに関しては過去にFacebookやtwitterの個人アカウントでも公開していた。
今回はこのプライベートブログ「SWIFT GAREGE」にも「みんカラ」に掲載していたFD3Sネタを転載していくことになり、配信チャネルを統一したので、主にブログの更新情報を配信する目的でXアカウントを新たに追加することにした。
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このブログの役割、開設と公開目的は下記参照。
FD3Sネタの転載について
上記Browsing Noteに「24歳でFD3Sを購入。」の経緯を書いたが、その続き。
20代の後半になって、仕事の方向性を定めることができた事がきっかけで、車に対する熱が冷めていき、FDもひと月に1~2回しか乗らなくなった。
バブルが終わったったというのが自分の周囲の誰にでもはっきり分かってきた頃だ。今まで10年間準備してきた計画をこの大不況の中で実行していくことになった。
それは25才の後半だった。この秋にFDは売却して、資金の一部として回収した。それから渡米や勉強を繰り返すため日本で働き、渡米し、帰国して働き、渡米して学ぶという生活を3年間くらい続けた。日本では車なしの生活も続いた。
2015年。二代目FD3S購入の経緯
1998年後半に完全帰国してから、日本の市場に合わせて業務内容を検討し、色々と下準備も重ねた。
2000年に今の仕事を始めて、車はオンボロのいすゞ「mu」からアコードワゴンの新車を購入して5年で降りた。そしてAudi「A4」を購入した。
クルマをいじったり、走り込んだりしなくなって、10年。仕事は日本で安定して、家族もでき、車は足になり、移動手段になっていた。
しかしそんな頃「頭文字D」がまだ連載していると知って驚いた。ちょっとだけ、「走るクルマ」に対して再び興味が沸いてきた。
それからコンビニで偶然見かけた「OPTION」とか「REV SPEED」を数十年ぶりに買うようになって、昔以上にメカとかチューンの仕組みや仕様もわかるようになった。RE雨宮、藤田エンジニアリング。REのチューナーはまだまだ現役でチャレンジしていた。昔と全く変わっていない。
20数年前、FD3Sを売ったときは未練もなかったはずだが、やっぱり不完全燃焼だったんだと思った。あれから心から乗りたいと思う車が現れなかった。
進化し続けるFD3S。自分なりの完成形を造りたい。
それからもFD3Sは進化していて、フルコンとか当たり前のように変えるチューン。俺がFD3S売ったときというか、その時代にはそんコンピューターチューンとか存在しなかった、ギリギリROMを書き換えてたとかそういう時代だった。それが今では当たり前のように400馬力オーバーで次々に記録を塗り替え、最新の車たちを抑え続けている。
この頃からFD3Sにもう一度乗ってみたいという思いが強くなっていき、中古車相場やチューニングの方向性を考え始めた。車両は市場にふんだんに出回っていて、数十万から200万円前後。ノーマルからライトチューン、フルチューンされたデモカーも雨宮が幾度も売りに出していた。その中の一台を本気で買いたいと思って検討したが、どうせなら自分の理想系を描いた上でチューニングを重ねて完成形を目指そうと決めた。
昔は高嶺の花でオートサロンに展示されたり、雑誌で特集される中でしか見たことがなかったようなハイエンドの完成形。今なら時間をかけながら煮詰めて完成までできると考えて、ベース車両を検討し始めた。
思い描いた自分なりのFD3S完成形
それまでも長年情報を得ることもなかったFD3Sをおさらいするために、様々な情報を集めていたが、とにかくデータや情報が莫大な量となっていたので、基本から考えることにしたのだ。
そもそも、20代中頃に購入したFD3Sはそれまで乗り継いだSA22Cやシビックなどとは違って、当時としては高級なスーパーカーの部類だった。SA22Cからの進化は時代のスピード感と技術革新で超絶に異次元的な進化を遂げていて、10数年で全く別物の未来のクルマへと進化した。
もう、自分の手に追えるチューニングベースでもなければ、ノーマルでも完成形で外観くらいしかいじる必要がなかったし、こんな高級車で峠を走る気にもなれない。そういうクルマになっていた。
それもあって、自分でイジる楽しさが無くなったことも短期間で興味が薄れていった要因だったと思い返した。もし当時、それ以上のことを求めてハイエンドチューンを行えば数百万の資金が必要で、とてもそこまで追求する気にはなれなかった。
だが、今では手頃なチューニングベースとして購入でき、チューニングの方向性も初期的なものからスタンダード、ハイエンドまで段階的に体系化も進んでいた。FD3Sは初期のバブル時代はやはりどこも試行錯誤の経緯があり、廃盤商品や今となってはメカチューンの影響による派生的なパーツ、古臭く思えるデザインのエアロなども多かったが、2002年以降から基礎的な現代の方向性が形作られている。
その中で見えたのは特筆すべき1型の素材や開発予算とメーカーのプライドをふんだんに注ぎ込んだ完成度の高さで、特に硬盤や補強材、溶接などクルマ全体の構造に関わる基本的なシャシは1型が最高峰だとわかった。
その他の部品に関してはアップデートも重ねて進化、改善されているからメンテナンスでこれをアップしていき、補強すればまさに最強の基本形が完成する。
見た目はRE雨宮+中身は藤田エンジニアリング+内装はプライベート
外観はRE雨宮にこだわる、色は絶対的に赤にする。次の条件は1型をベースにする。これだけは最初に決めた。
色は絶対的に赤だ。これは初代でも迷いに迷っていた部分だが、今回はベースを赤にする。全塗装する場合でも外装にとどめてシャシの骨は当時の姿のままきれいにしたい。
給排気、足回り、冷却、エンジン、コンピュータなどは今回購入する車両がノーマルだろうと、ある程度チューニングされたものであろうとサーキットを自分とプロが実走してみてレコードマーカーとして成立するくらいまで煮詰め、最終的には耐久性重視で決定する。すぐに壊れてしまうような完成度の低い改造やセレクトの意味がわからない部品、必要性のないようなパーツ類は一切無視。中途半端な知識とコンセプトで改造は行わない。
特定の競技結果をもとめるわけではないがサーキットに持ち込んでも上位に食い込む完成度と今後も長い月日を楽しんでいける「街中でも快適、特に高速クルーザーとして最適」な「チューニングカー」を目指す。
外装は20代のころから憧れだった雨宮の中期FD3Sで見られたGT-AD。これ一択。フロントも初期型のキャロルウインカータイプ。そして中身については「速い・壊れない・整備性保持・部品精度の高さ」を貫き通す「快適仕様フルチューン」をポリシーに掲げる大阪の地元チューナー「藤田エンジニアリング」に委ねて、内装は限りなくノーマルに近く新しく、きれいに自分の使い勝手と好みを最優先したプライベートで完成形を目指す。
2015年ついに二代目FD3Sを購入。
二代目FD3Sの購入タイミングは突然だった。知人が業者オークションに同行させてくれたり、ネットで中古や情報を調べたり、業者さんが目についたクルマの連絡をくれたりしていたが、なかなか思い通りのベースになりそうな車体が見つからなかった。
1型の赤い車体があまり状態のいいものが見つからなかったので、色は妥協してチューニングの初期かエンジン着手の段階にでも一回ドンガラにして色替えも検討したり、色を優先することも考えたりしてて時間はたった。
そんな中、住居も引っ越してバタバタしたところでやっと落ち着いたタイミング。友人が同時期にクルマのチューンと競技参加を始めていて、軽四で感じを掴んだあとに本格的にサーキットチャレンジのためのクルマを購入したという。
そこで自分も腰をあげて車両を探し始めると、なんと偶然にも一回目の検索で、昔住んでいた大阪郊外の中古店で1型、赤、シャシの修復歴がない車体で、しかも雨宮のAD-GT初期方キャロルウインカータイプが実装された車体が売りに出ていたのだ。

早速問い合わせて、実車を見に行った。正直販売価格は想定より高い。仕入れた車両にいくらか手をいれて、客引き用に手直しされた感じはある。エンジンやその他補機類も見た目ではどの程度メンテナンスされていたか不明だが、全体的なパーツ構成は10年は前に施工された後付品が多く、冷却系や内装もかなりいじっているが全く好みではない。
しかし、そんなものはすぐに取っ払うか、使うだけ使って壊れたら他のノーマルパーツも同様最終形を目指してアップデートしていく。
1型、赤、AD-GT、シャシ修復歴もない。この基本条件が揃っているモデルはこれを外せばいつつかめるかわからない。他の要素には目をつぶって私はその場で購入を即決したのであった。
こうしてこうしてその後7年半に及ぶ二代目FD3Sの完成形を造る計画がスタートした。
今後のFD3Sネタ掲載について
放置しているみんカラに掲載済みの過去ネタについてもできる限り、施工順に加筆編集して再掲載する。
もともとこのブログは名称決定前に自分と家族の備忘録としての意味合いを持たせていたのでカテゴリについては当面は現状保持で統一する。
(何に関連する記事でも検索ですぐにヒットするよう、今後タグを追加予定)
写真素材も追加し再掲載。自分自身の車歴としても保存できる状態でリニューアルする。
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